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信濃の疏水

佐久地域

ブランド米を育む 五郎兵衛用水(ごろべえようすい)

江戸時代の初め、市川五郎兵衛真親(さねちか)は、その半生をかけて佐久に三つの新田開発を行いました。その偉業の一つが、五郎兵衛新田です。
開発される前のこの地は、〝矢嶋原〞と呼ばれる水に乏しい原野でした。付近に取水できる川や大きな沢もなく、水源探しは困難を極めました。
3年間に及ぶ探索の末、ようやく蓼科山の山中にある湧水(五斗水ごとみず)を発見しますが、矢嶋原までの水路開削には、多くの時間と労力を要しました。
山肌を削り、尾根を掘貫き、掛け樋で川を横断させ、更には築堰(つきせぎ)と呼ばれる天井水路により窪地を越えるなど、数多くの知恵と工夫により約20㎞の水路を築き、一帯を水田地帯へ変えることに成功しました。苦心の末に完成した五郎兵衛用水ですが、その維持にも、多くの人手が必要で、年間延べ7千人を要したという記録が残っています。
その後、昭和34に始まった県営御牧ヶ原農業水利改良事業により大改修がなされ、維持管理労力の大幅な軽減と、安定した用水確保が可能となりました。それら先人達の努力の結果、現在では、おいしいと評判のブランド米「五郎兵衛米」を育んでいます。近年、水路の老朽化が進み、平成24年から始まった県営かんがい排水事業により補修工事が行われ、地域の農業を支える用水路として末永く活用するための対策が図られています。
2017年3月掲載

• 施設の管理者 五郎兵衛用水土地改良区

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