信濃の疏水
松本地域
木曽山中から水を引く 勘左衛門堰(かんざえもんせぎ)
奈良井川の小麦淵(松本市島立)から取水し、北に流れ安曇野の中央部に向かい、万水川に至る全延長11㎞、受益面積304haの勘左衛門堰は、拾ヶ堰とならぶ安曇野を代表するかんがい用水路です。
この堰は、等高線と平行して流れるいわゆる横堰で、安曇郡代官、二木勘左衛門により寛文2年(1662年)に着手され、幾多の困難を乗り越え、23年後の貞享2年(1685年)にようやく完成しました。工事は、横堰であることから、水路勾配の管理が難しい上、既存の幾つかの集落や小河川を横断する必要があり、極めて高い測量技術と土木技術が要求されました。
この堰の特徴の一つに、取水の多くを木曽山中から流れ出る奈良井川に求めていることがあげられます。奈良井川は梓川に比べ、水量が安定しており、水温も温かいためと考えられています。二つ目は、梓川を横断している点にあります。開削当時は、梓川の河川内に土手を築き横断させていただいたため、大雨のたびに流出し、維持管理には想像以上の苦労を要しましたが、井掛(いがかり‥現在の土地改良区)が中心となり復旧し、現在までその流れを繋いでいます。
梓川横断部は、サイホン技術により、大正時代には木製底樋、昭和初期にはヒューム管にて通水するようになり、近年では梓川の河床低下により露出した旧サイホンを閉塞し、上流側に固定堰として一体化させた新サイホンが、平成20年度に完成しました。
この勘左衛門堰をはじめとするいくつもの横堰の開削により、扇状地中流部の平地にも水が潤うようになり、農業形態の変化をもたらすと同時に、網の目のように張り巡らされた水路は、現在のみずみずしい安曇野の風景を形成しています。
2009年9月掲載
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