信濃の疏水
上小地域
1300 年の悠久の時を経て 吉田堰(よしだせぎ)
吉田堰の開鑿(かいさく)は養老年間(717年頃)ともいわれ、上田管内でも特に長い歴史を刻んできました。上田市真田町石船地籍に取水頭首工を設け、上田市、東御市を流下した水は東御市海野地区で千曲川に注ぎます。本流の延長は10㎞にもおよびます。また、総かんがい面積は355haと神川左岸の約7割の受益地を潤しています。
吉田地域は文字のごとく、肥沃で水田耕作に最適な地です。また、神川は名のごとく、尊く清らかで、他に類ない水が流れていたことから、聖武天皇が各国毎に国分寺を建てさせた時、信濃国分寺が神川近くに建てられたと言われています。
当初は、神川の水を、途中の耕地を潤しつつ吉田地域まで通水したのですが、後年永禄の頃、常に干ばつに悩まされていた東御市太平寺地籍まで水を通水したとの記録があります。
土木技術のあまり進まなかった時代、毎年大雨の度に取水口は流され、土砂の押出しによる水路の決壊もしばしばでした。それに加え不完全な水路は漏水がひどく毎年何百人もの人足による堰浚いや改修等、需要期の水引に費やす労力と経費は莫大なものでした。
昭和40年代、神川の水を有効かつ合理的に利用するべく、神川沿岸土地改良区が結成され、菅平ダムが建設されましたが、この際に吉田堰の全面改修が実施され現在に至っています。
2010年9月掲載
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