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信濃の疏水

上伊那地域

自ら水神となり荒れ地を水田に 艶三郎の井(つやさぶろうのい)

「艶三郎の井」は伊那市荒井上の原(伊那中学校周辺)に開かれた水田を潤す井戸です。
御子柴艶三郎は、1852年伊那市荒井に大工の子として生まれ、20代は大工の傍ら養蚕を行うなど起業家として活躍しました。その当時、水不足で農家の人々が苦しみ、集落間の水争いが絶えず起こっていました。艶三郎は30代になるとこの事に心を痛め、私財を投げ打ってでも井戸を掘って水を得る事を心に決め「もし水が出たら、私の体は神様に差し上げます」と命懸けの祈願をしました。
そして、明治28年に井戸の掘削に着手しました。掘り進めるにつれ、艶三郎の資金も底をつき莫大な借金をしながらも、翌明治29年の4月、ついに井戸から大量の水が出て、荒れ地であった上の原に40ha余の水田を造る事に成功しました。
明治32年12月、辞世の句「海に出るはじめは穴の春の水」を詠み、艶三郎は神様との約束を守り、自宅の座敷で自刃しました。明治44年、地元区の人々が艶三郎の霊を水神として水源に祀りました。毎年4月10日には艶三郎の遺徳を偲ぶとともに、豊作を祈願し地元の方々が集まり水神祭が行われています。
井戸の掘削から百年以上経た今もなお、こんこんと湧き出る「艶三郎の井」は伊那市の「まほら伊那いいとこ百選」に選定され、多くの市民に親しまれる憩いの場になっています。
2014年11月掲載

◦施設の管理者 横井清水水利組合