信濃の疏水
疏水にかかわる祭事
大昔の私たちの先祖は、山・川・水・木・石や、雨・風・雷・太陽・月など自然界のあらゆるものに霊が宿ると信じていました。やがて水の霊は畏怖され神化して水神となり、時代が進むと弁財天など特定の神仏名で説かれるようになりました。また、佐久市浅科の市川五郎兵衛翁のように、用水開削に尽力した人を水神として祀っている例も多くあります。
このような水の神に用水の安定供給や豊作などを祈願し、水の恵みに感謝する水神祭は、その年の耕作が始まる5月~7月、あるいは耕作が終わった10月~11月に多く行われています。
龍頭、鷁首の2艘の船で上高地の明神池に水をお返しする安曇野市の「安曇野水祭り」、毎年県外からも多くの人が訪れ村の人達と旧交を温める機会となっている栄村の「野々海大明神祭」、池に御神酒を注ぎ笹舟を浮かべる飯山市の「茶屋池弁財天祭」、北信地域に幾筋もの用水を開削し用水の神様といわれた野田喜左衛門の功績を称える同じく飯山市の「野田祭」など、地域ごとに特色のある水神祭が見られます。
また、上田市塩田平に伝わる雨乞い行事「岳の幟」は、今から500年ほど前に大干ばつがあり、夫神岳の山の神様に雨乞いの祈願をしたところ、恵みの雨が降ったことから、山頂の祠に九頭竜神を祀り、各家で織った布を奉納したことが始まりといわれています。
出典:農の営みをささえる 信濃の疏水