信濃の疏水
佐久地域
堰開削の思いを受け継ぐ 八丁地堰(はっちょうじせぎ)
佐久地域の北西部、蓼科山北麓の一帯は、江戸時代前期に多くの新田開発が行われていますが、いずれも高い土木技術により山間地や谷筋に長い水路が造られています。
佐久市(旧望月町)・北佐久郡立科町の農地を潤している『八丁地堰』は、立科町の「塩沢堰」、「宇山堰」などと並び、地域の新田開発に大きな役割を果たした水路です。
八丁地堰の開削は、塩沢堰・宇山堰と時期をほぼ同じくして、1645年(正保2年)に、茂田井村(現佐久市茂田井・立科町茂田井)の名主であった茂右衛門を中心として始められました。しかし、取水地が幕府領であったため、無許可の工事(内証普請)であったと伝えられています。
問題となれば重罪にも問われかねない中、2年後に約5.2㎞の水路が完成しました。この結果に、幕府領内の工事のため関わろうとしなかった小諸藩も支援に動き、また、芦田村・山部村(現立科町)が堰開削に参加したことで、4年後の1649年(慶安2年)には、約12.7㎞が完成しました。
八丁地堰の完成後は、茂田井村・芦田村・山部村の三村で維持管理が行われ、普請や水配分についても様々な取り決めの中で管理されていたことが当時の記録に残されています。
近年は、立科土地改良区を中心として、他の堰も含めた水管理の近代化が進められ、八丁地堰は立科4号幹線・2号幹線・山部線となり、地域農業の動脈として改修整備されました。
堰開削当時の農家の思いは、360年以上経った今も地域の農業者に受け継がれ、県下有数の米どころを支えています。
2013年5月掲載
◦参考文献
「蓼科の水」(立科土地改良区)
「長野県土地改良史」
◦施設の管理者
立科土地改良区
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