信濃の疏水
松本地域
繫栄の礎を築いた 四ヶ堰(しかせぎ)
四ヶ堰は、その名のとおり、松本市芳川地区の村井町、小屋、野溝、平田の旧四村を潅漑する用水路です。
塩尻市堅石地籍の奈良井川右岸から七ヶ堰として取水し、途中、左岸の神戸、神戸新田、二子の旧三村を潅漑する三区堰を分水後、塩尻市吉田の住宅地内を北流し、長野道塩尻北インター横の円筒分水まで、約3.2㎞を流下後、旧四村へ分水しています。
江戸時代までの四ヶ堰は、取水後奈良井川沿いを引水していましたが、漏水や災害が多く、明治元年には沿線の水路が全て流されるという大災害に見舞われ、四ヶ村村民の落胆は、大変大きなものでした。
平田村の名主百瀬三七翁は、常日頃から新堰開削を訴えては反対されていましたが、独り密かに計画を練り、夜間人目を避けてロウソクや線香の明かりを頼りに地形を測量し、遂に新堰の路線を定めました。「この事業の成否は四ヶ村用水の今後の興亡にかかわり、如何に至難であってもなしとげなければ関係各村は自滅のほかはない」と用水組合や関係各村等に熱意をもって説得に努めた結果、ようやく合意に至り、明治4年に着工、翌5年に新堰を完成させました。
新堰は奈良井川の河岸段丘を大きく開削し設置され、現在も「深堀」と呼ばれるその一部を塩尻市北部公園の南側に見ることができます。また、末流の円筒分水は、用水を誰が見ても公平に分水できる県内でも貴重な分水施設で、昭和9年に初代が完成し、現存するのは二代目です。
2011年2月掲載
◦参考文献 四ヶ堰百年の沿革(松本市芳川土地改良区)
松本地域の他の疏水を見る
- 安曇野を横切る 拾ヶ堰(じっかせぎ)
- 美しい農村風景を次世代へ 梓川頭首工(あずさがわとうしゅこう)
- 木曽山中から水を引く 勘左衛門堰(かんざえもんせぎ)
- 山に向かって流れる 矢原堰(やばらせぎ)
- 繫栄の礎を築いた 四ヶ堰(しかせぎ)
- 緑にかこまれた歴史を刻む 美鈴湖(みすずこ)
- 水田をうるおす命の水 小田多井堰(おだたいせぎ)
- 農民の悲願と苦難の結晶 五ヶ用水(ごかようすい)
- みんなの大切な水の道 波田堰(はたせぎ)
- 北アルプスの水がレタスを育てる 岩垂原(いわだれはら)
- 犀川の清流をポンプアップ いくさか農業を未来に繋ぐ 揚水機場(ようすいきじょう)
- 梓川の清流を産地に送る 国営右岸上段幹線(こくえいうがんじょうだんかんせん)
- 開削200年を迎える 拾ヶ堰(じっかせぎ)
- 安曇野の横堰のひとつ 新田堰(しんでんせぎ)
- 村の願いは温な実り 温堰(ぬるせぎ)