信濃の疏水
諏訪地域
守り続けてきた流れ 養川の汐(ようせんのせぎ)
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茅野市の横谷峡『乙女滝』は、新緑や紅葉の季節、さらには厳冬の氷瀑を目当てに、四季を通じ観光客が途絶えることがない。実はこの滝が三百町歩もの水田に水を送る『大河原汐(「堰」と同意。諏訪高島藩が「汐」を用いたことに由来。)』だとはあまり知られていない。
その昔、八ヶ岳西麓の茅野市、原村、富士見町周辺は、高島藩のもとで新田開発が進められたが、もともと水量の豊かな河川が少なく、谷が深かったことから十分な用水が得られず、行き詰まりをみせていた。そこで、当時の田沢村の名主坂本養川は、この地の用水体系を再編成し、天明5年(1785)から寛政12年(1800)にかけて多くの汐を拓いたのである。
その代表的なものが『大河原汐』と『滝之湯汐』であろう。水量が豊富な滝之湯川から取水された水は、崖の中腹や岩を穿うがった隧道を流れ下り、あるところでは滝に姿を変え、延々10数キロの道のりを経て南の農地へ至る。(滝之湯汐にも秘瀑『夕霧の滝』がある)現在の八ヶ岳の裾野に広がる田園風景は、この“養川汐”によって作り上げられたといっても過言ではない。
観光客がひとしきり途絶えた昼下がり、横谷峡には滝の音だけが響き渡る。200年以上続く風景。だが、それは自然が作り出した流れではない。多くの農業者が幾多の苦難の末、守り続けてきたものなのである。
2008年7月掲載
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