信濃の疏水
北信地域
志賀高原からの清流 三本の堰(さんぼんのせぎ)
雄大な志賀の山並みに囲まれた夜間瀬地域。今から150年程前の江戸時代末期、付近を流れる夜間瀬川に水利権のないこの地域の人々は、山の浅い笹川のわずかな水に頼って水田農業を営み、常に干ばつに苦しんでいました。
当時、酒屋を営み資産家であった坂口稔兵衛他11名が、分水嶺を越えた雑魚川水系に新規水源を求め、文久3年(1863年)延べ2万5000人、1万両の巨費を投じて約25㎞の横倉上堰を開削し、地域農業の発展に大きく貢献しました。また、同じ運命にあった須賀川の村も上堰の下段に、須賀川堰(明治3年・約17㎞)を開削しました。その後新規開田により、再び水不足をきたすようになり、そこで、さらに下段に横倉下堰(明治30年・約11㎞)を、多くの労力と費用をかけて開削しました。特にこの下堰は、分水嶺を越えるために隧道を開削しなければならず、上堰の恩恵を受けた村ぐるみの工事であったと記録されています。
この3本の堰は土水路で、総延長50㎞以上にもなり、地区の人々が命がけで守ってきました。しかし、堰の老朽化が進み、維持管理費が受益者の負担能力をはるかに超えたため、3本の堰を統合し、新しくパイプラインを通す計画が立てられました。昭和52年県営事業として着手し、平成6年までの18年間工事が行われました。
こうして、パイプラインで引かれた水は、水田ばかりでなくリンゴ・ブドウ畑にも送られ、331haの田畑を潤し、夜間瀬の農産物は、原生イワナが棲む志賀高原の清らかな水で育まれていることが、誇りとなっています。
2010年11月掲載
◦施設管理者 夜間瀬かんがい排水事業組合
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